2009年05月20日

コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(9)

090507_1424~0001.jpg【 問題行動の数々…(4)】  いまも残っている、おかしな習性のひとつが「ねこ」だ。こるべまりいはネコだにゃ! べつに自分が本当に「ねこ」だなんて考えているわけではなく、本物の猫が好きなわけでもない。でも、こるべまりいは、4歳(?)くらいのときから、47歳の今にいたるまで、「ねこ」なのにゃ!  ぼくはほかの男の子たちとはちがって、ひとりで遊ぶのが好きだった。レゴが大好きで、夢中になってひとりで遊んでいた。4歳くらいだったと思うけど、父がおみやげで「ねこ」のキーホルダーをくれた。3センチくらいの小さなものだったけれど、それが異常に気に入って、「ねこちゃんパック」と名づけて、ブロック遊びの主人公にして、いろんな空想物語を「にゃー、にゃー」いいながらつくって遊んでいた。  小学校にはいっても、「にゃー、にゃー」いいつづけた。クラスメイトから「にゃんごろう」というあだ名をもらった。中学校・高校・大学でも「にゃー、にゃー」いいつづけた。会社にはいっても「にゃー、にゃー」いいつづけた。そして、いまでも「にゃー、にゃー」いいつづけている。  2年ほど前、まだ聖シャーベル修道会の第3部門修練者だったときだと思うけど、イエズスから「ねこは死刑にしてほしい」と言われて、ど〜んと落ち込んでしまった。結婚してお父さん神父になりたいと思ってたから、しょうがないなぁ、と思ってブログに「ねこは死刑宣言」を出したけど、40数年間「にゃー、にゃー」いってたのを急にやめるのは、やっぱしんどくてね。  すぐにマリアママが、「イエズスが『ねこは死刑』といったけど、あれは冗談ですよ」っていってくれて、ほっとした。逆に、マリアママとジェンマ姉ちゃん(だったと思うけど)が、名古屋で、「猫のぬいぐるみを買ってね」、「名古屋は『哺乳瓶共同体』、秋田は『ねこ共同体』です」って、いわれちゃった!  こんなに親しみのある御出現は、カトリックでは前代未聞だと思うよ。名古屋で買った猫(虎の子?)のぬいぐるみは、ジャン・マリー神父が「ロビーちゃん」って命名してくれた。コルベ・マリーが、いつも自室にひきこもって、よくねころんでいるから、「寝転び」→「ねころび」→「ねこロビー」になったんだってさ!  名古屋から秋田への帰路、ロビーちゃんが夜中ずっと、ハンドルにぎって運転していったんだよ。  ジャン・マリー神父は、「動物は大好きだけど、その中でねこは一番きらい!(笑)」って言ってて、でもマリアママから、秋田の共同体が「ねこ共同体」って命名されちゃったから、やっぱり、「コルベ・マリーには、いつも泣かされています、うぅー、うぅー(泣)」って言ってるんだ。あっはっは!  いや、たしかに、「にゃー、にゃー」っていうのは、逃避行動の一種だし、自分はすごい変人だし、みんなからは「きしょい!」っていわれるけど、神様はこんなぼくを、いつもニコニコしながら見守ってくれているんだ。  ぼく自身、「ねこ」が何の役に立つのか、さっぱりわからないけど、イエズスもマリアママも、天のみんなは、このままのぼくを愛し、楽しんでくれているんだね。  ケルビムちゃんたちは、ぼくのいたずら仲間さ! いつもぼくは、「ケルビムちゃん、こんどはどんないたずらしようか?」って言って、ケルビムちゃんたちを困らせているんだよ! ふふっ! http://charbeljapan.cocolog-nifty.com/charbeljapan/cat20899643/
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2009年05月04日

コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(8)

080516_1128~0002.jpg【 問題行動の数々…(3) 】  さらにさかのぼって、幼少期のころを、できるだけ思い出してみよう。  ものごころついたとき、一日のすべてが苦痛と不安と緊張でいっぱいだった。顔をあらうこと、服をきがえること、ごはんを食べること、歯をみがくこと。いつもガミガミ言われて、いつも泣いていた。掃除の音は恐怖そのものだ。いつ叱られるか、いつもびくびくしていた。夜8時、ふとんにはいって寝るときが、いちばんしあわせだった。  おねしょは、小学校3年生までなおらなかった。何歳のころだったか、3歳か4歳くらいじゃなかったろうか、カレンダーに毎日バツ印がつけられていくんだ。「今度やったらゆるさないからね!」と毎日きびしくいわれた。でも、どうしても真夜中、ジョンジョリともらしてしまう。母に見つかるのがこわかったから、いっしょうけんめい寝巻きと布団をパタパタやって、かわかそうとする。そのうち母が見つけて、ガミガミはじまる。泣きべそかいて、とほうにくれて、嵐がすぎさるのを、ひたすら待った。  よく思い出してみると、ものごころついたとき、すでにオナニー(自慰行為)をしていた。夜8時、ふとんにはいると、うつぶせになって、おちんちんをふとんにこすりけていた。そうすると、気持ちよくて、ほっとできた。幼児だから、エロいことは考えないし、射精もしないけど、行為はオナニーと同じなんだね。  あと、ふとんのかどっこ(?)で手のひらをこちょこちょいじるくせがある。たぶん、赤ちゃんがお母さんの乳首で遊んでいることの名残じゃないかと思う。そして、頭からふとんをかぶって、雪国の雪ん子みたいなかっこうをしないと眠れない。寝相は悪く、一晩で5〜6回転くらいはする。今でもこのくせはつづいている。  寝つきはすごく悪い。なぜって、一日のうちいちばんしあわせな時間で、子猫かヒヨコになって、おかあさんの羽の下で、ぬくぬくとしあわせに眠る、っていうような、しあわせな空想にひたることができるからだ。  なぜか、ぼくはものごころついたときから人見知りがはげしかった。大人であれ、子供であれ、知らない人々がくると、父と母のうしろにかくれた。両親が言うには、色白でとても「かわいい子」といわれ、お菓子とかいっぱいもらったらしいが、ぼくは人に会うのはいやだった。「絶対にいや!」だった。みんなに気に入られる「よい子」を演じなければならなかったから。  父と母には、いつも「だっこ」「おんぶ」をせがんだ。されているあいだはいいけど、おろされると、ず〜っと「だっこ」「おんぶ」をせがみつづけた。満足することを知らなかった。そして要求がみたされないと、泣いたり、すねたり、怒ったりを、ず〜っとしていた。  水を異常によく飲んだ。今でも毎日5〜6リットルは軽く飲んでいる。水がないと、食事がのどを通らない。  よその家や、外出先では、まったく飲食ができなくなった。トイレもひたすら我慢した。「おしっこしたい」「うんこしたい」が言えなかった。なぜかはわからない、どうしてもグッっとつまって、言えなくなってしまうんだ。毎年、夏休みのあいだ、約一ヶ月、新潟のおじいちゃん、おばあちゃんのところへ、母と弟と行くんだけど、その間、まったく食べれなくなって、いつもげっそりやせて帰ってきた。  もうひとつ、かわったところは、ものごころついたときすでに、神様が大好きで、「のんのさま」「のんのさま」といっていたらしい。家はクリスチャンでも何でもなかったから、どんな神様なのかは、さっぱりわからなかったけれど、神様のことを思いめぐらすのは、ぼくのしあわせだった。  名前のない神様。でも神ちゃまは、こんな小さいときから、ぼくとおはなししてくれて、やさしくみまもってくれていたんだね。マリアママの母性的なやさしい愛も感じていたよ。「マリアママ」って名前は知らなかったけれど、神ちゃまのようにやさしいお母さん、って感じだったね。だから、よけい、ふとんにはいって寝るときが、いちばんしあわせなときだったよ。 http://charbeljapan.cocolog-nifty.com/charbeljapan/cat20899643/
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2009年04月21日

コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(7)

090405_1531~0001.jpg【 問題行動の数々…(2)】  さきの「秋田の聖母」のエピソードのまえに、ぼくは10年近く「ひきこもり」の生活をしていた。「ひきこもり」って言葉が、まだなかったころのことだ。  20歳のとき、名古屋で一人暮らしをはじめて、すぐ、いまで言う「ひきこもり」になった。1982年ころだと思う。当初は、大学の教養課程の単位をとるために、かろうじて出席日数が足りる程度は、学校行ってたけど、4年生で研究室に入ってから、お休みががぜんふえたと思う。  修士課程、博士課程後期は、ゼミの日以外は、夕方ごろ出てきて、喫茶店で「ゼビウス」やりまくって、閉店後、研究室のPC-9801 でゲームやりまくって、ちょっと実験して、明け方、学生マンションに帰って寝た。先生とか研究室の仲間とは、ほとんど顔をあわせない。当然、学校と家から電話がガンガン鳴るわけだけど、電話線ひっこぬいたり、お金あるけど電話代はらわないで、通話できなくしたりした。  そうだ、思い出したけど、お金あるのに家賃滞納して、督促されたことがしょっちゅうだった。何もする気力がなかったんだ。  当時、家庭用ビデオとパソコンが普及しはじめたころで、部屋ではオナニー三昧、ゲーム三昧、マンガ三昧だった。部屋の中には、生ごみ袋が十数個、トイレ行くのがおっくうだったから、ペットボトルに小便をしていた。風呂は3日から一週間に一回。髪はボウボウ、ひげもボウボウ、乞食みたいなかっこうしていた。  こんなんだから、恥ずかしくって、外へは出れない。前にも言ったように、生まれつきの対人恐怖症だから、なおさら出れない。でも、3日くらい篭城すると、食料がつきてくる。お腹がすいてどうしようもなくなる。  飢餓状態で起きだして、シャワーを浴びるんだけど、自分が生きてるんだか死んでるんだか、わからない。しばらくぼうぜんとしている。自律神経がおかしくなっているから、暑いんだか寒いんだかもわからない。  死にそうにしんどいんだけど、必死に気力をふりしぼって、人通りがなくなる午前2時か3時ころ、両隣に気づかれないようにそっと部屋を出て、コンビニへ向かう。歩きだから、せいぜい三日分くらいしか持てないんだけど、パン・カップラーメン・冷凍食品・ジュース・酒を両手いっぱいにかかえて、できるだけ急いで部屋にもどる。  ず〜っと、ふとんにもぐって寝ていたから、体力はガタ落ちでしんどかった。でも、いちばんしんどいのは精神のほうだった。苦しくって苦しくって、毎日、ビールを1リットル以上飲まないと寝れなかった。寝るというよりも、酔っ払って3時間くらい意識を失っていたというのが本当のとこだろう。その後、うとうとしながら見る夢は、核戦争、大地震、何か恐ろしいものに追っかけられ続ける……。あせり、怒り、不安……  リトル・ペブルさんに与えられたマリアママのメッセージに出会ったのは、こんなひどい「ひきこもり生活」が絶頂期にたっした1987年ころだったと思う。 「神様はもっとも罪深い人を、もっとも愛する」 マリアママは、こんなひどい罪人のぼくを、そのまま愛してくれているんだ。  ぼくが、どれほどひどい状態だったか、そして、いまもその後遺症をひきずっているか、その根底にあるのは「傲慢(ごうまん)」という深刻な罪であるということを、おいおい書いていくよ。 http://charbeljapan.cocolog-nifty.com/charbeljapan/
posted by こるべまりい at 19:02| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コルベ・マリーの告白録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする